スポンサーサイト

2016.05.18 Wednesday

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    俳優が踊る、とは。

    2016.04.24 Sunday

    0



      おはようございます、こんにちは、こんばんは。
      演出補佐の臼杵です。演出部では一番出現率の低い四年生。皆さんどうぞよろしく。


      さて、先日稽古の時間を使って振付の南舘によるダンスWSが行われました。
      そちらのレポートはこちら


      その中で南舘の口から「君たちはダンスの人じゃないから」という旨の言葉が幾度となく発せられました。それは開き直りや妥協ではなく、そこに「俳優が踊る意義」を含むような口ぶりでした。少なくとも私はそう感じました。それについて掘り下げて考えてみましょう。あくまで個人の見解であって「万人がこうあるべきである!」といった啓蒙思想は一切ございませんのでご理解を。


      さて、演劇は「なんでもあり」が一つの特徴のようなところがあります。歌っても踊っても、殺陣をしても漫才をしても、最終的には「演劇」というカテゴリーの中に収まります。(細かいジャンル分けのことを言いはじめたらキリがないので割愛)


      そんななんでもありである反面、それを行うのは基本的には「俳優」です。もちろん踊りをダンサーに、歌をミュージカル俳優に任せるといったことはあります。が、歌も踊りも専門ではない「俳優」がそれを行うことが往々にして起こります。


      そうなったとき、「俳優」はなにを考えるべきでしょうか。


      振りを完璧に覚える?
      テンポを間違えないように気をつける?
      他の人とキチンと揃うようにする?


      どれも大事なことですが、それはあくまで踊るための「手段」であって「目的」ではありません。
      では演劇においてダンスを踊るということはなにを「目的」とするのか。


      結論から言うと、これもまた色々です。
      劇の冒頭で「劇世界の構築」や「劇世界への導入」の役割を果たすダンス、中盤での「身体を駆使したシーン表現」としてのダンス、終盤での「物語の象徴」となるダンスetc...


      一旦まとめましょう。


      ◆前提
      ・演劇において「ダンス」は単なるパフォーマンスに留まらない役割を担っている場合が多い
       →「劇世界の構築」「身体を駆使したシーン表現」「物語の象徴」など

      ・そのダンスを行うのは往々にして「俳優」であり、彼らはダンスの専門家ではない。


      ◆本題
      ・「俳優が踊る意義」とはなにか。


      この問題について、僭越ながら私の経験も交えながら<演出家目線>と<振付家目線>と<俳優目線>で考えてみます。


       ̄藹于
      演出家はまず「そのダンスがこの作品の中でどういう位置づけか」を考えなければいけません。「戯曲に書いてあるから」では単なるパフォーマンスの域を出ず、それならダンサーに任せなさいよという話になる。(ダンサーはダンサーでただ機械的に踊るわけではないんですけどね。大丈夫、知ってます。)前提の項目に書いたような役割をまずは見定めること。その上で「何を、どのように表現したいのか/したくないのか」を振付家に伝えることが必要です。


      ⊃局娉
      振付家は演出家からのオーダーを受け、あるいは演出家と同じように戯曲から可能な限りの情報を抜き出し、思考します。ダンスのプロではないが演じることに関しては一日の長があるかも知れない人たちにどう技術と表現のいい案配を与えるか。時には「如何に踊らずダンスを成立させるか」といった極端なことも考えます。これは単純に技術の問題もありますが、「音楽に合わせてポーズをとること=ダンス」という既成概念に囚われないようにするためのコツでもあります。


      G侏
      さて、そうやって演出家や振付家がうんうん唸りながら考えた振り。最終的に観客の前に出現させるのは俳優です。なにをやるか。案外簡単です。「演じる」んです。演出家は俳優に対して「あの台詞、もっとテンポ早く言って」とか「そこはもっとダイナミックに」とか、演出を付けます。それがダンスで言うところの「振り」です。俳優は指示された演出に対して「なぜテンポを早くするのか」「どういう理由でダイナミックさが必要なのか」ということを考えます。ダンスも同じ。なぜそうするのかを考えるのは基本的には俳優の仕事です。


      ◆結論
      俳優が踊る意義とは

      「        」

      いや、結論とまでは言えないです。いろいろ考えてるんですけど。
      例えば、演劇におけるダンスを「戯曲への取り組み方の応用」として捉えれば俳優である意義が生まれます。
      しかし、「戯曲」じゃない演劇の場合はどうするんだよ、という反証が出てきます。


      強いて言うなら 「既存のダンスのメソッドに囚われず、日常の身体と表現が直結する」 という点でしょうか。


      ただ、これも「コンテンポラリーダンサー」という技術はあるがメソッドに囚われない人たちが存在するんですよね……。
      今はここでギブアップです。






      あんだけ大風呂敷広げといて結論出んのかい!!!ってのは自分が一番思ってます。
      難しい。もうちょっと考えてみます。


      ではっ。
      臼杵遥志

       

      スポンサーサイト

      2016.05.18 Wednesday

      0
        コメント
        コメントする